ロマンと哀愁漂う廃墟「サモボル城」 (クロアチア)
ザグレブから西へ約20㎞に位置する小さな町、サモボル(Samobor)。
緑あふれる美しい丘に位置しており「 古き良きクロアチア」を感じることができるこの町は、ザグレブから人気の日帰り旅行先でもあります。
サモボルの中心部には、バロック様式の建物が立ち並び、中世の街並みを今に伝えています。
町の中心にあるのはトミスラブ王広場。
広場の周りにはレストランやサモボル名物のクレームシュニッタというスイーツが自慢のカフェが軒を連ねます。
トミスラブ広場から西を望むと目に飛び込んでくるのは、テペッツ(Tepec)の丘。
よく観察してみると、その丘の中腹に古びたお城がひっそりと佇んでいることに気が付くことでしょう 。
今はまるで廃墟のように打ち捨てられたそのお城の名はサモボル城(Stari grad Samobor)。
地元の人たちには「スターリ・グラード」という名で親しまれています。
トミスラブ王広場からサモボル城までは、徒歩で片道20分程度。途中ちょっとした山道を歩かなければなりませんが、景色を楽しみにながらあっという間に到着します。
サモボル城の起源は時を遡ること約700年。
中世の時代、サモボルはこの辺りの地域の交易地 のひとつとして人々が行き交っていました。
当時この地を支配していたのは、ボヘミア王であ るオタカル2世。サモボルはかつて、オタカル2世が支配していた領土の辺境に位置していました。
自国の領土をアドリア海まで領土を拡大にさせることに成功したオタカル2世は、かつての辺境を強化させるために、サモボルを見下ろす丘の上に要塞を築くことを命じました。
こうして 1260年から1264年にかけて築かれたサモボル城ですが、完成後、幾度となくその所有者が変わってきました。
また長い歴史の中で、その姿を変えてきたサモボル城。増改築を繰り返し、立派な塔や堅固な壁、中庭を持つ城となりました。
ところで、お城はサモボルの人々(領民)を外敵から守り、暮らしに安心を与えてくれる存在でありましたが、同時に城主と領民の対立をしばしば生む原因でもありました。
その発端となったのは、1242年にハンガリー王ベーラ4世により与えられた「自由都市」の称号。自由都市の称号と特権を得たサモボルの人々は、城主にしばしば反発するようになりました。
18世紀後半には、サモボルの人々と城主の間で起きた争いに関する事が1700ページにも渡り記された裁判記録が発見されたのですが、その因縁をうかがい知ることができます。
最後の城主がサモボル城を去ったのは18世紀末のこと。
それ以降、人が住まなくなったサモボル城は徐々に朽ち果ててしまいます。
床も屋根、壁までも崩れ落ち、荒れ果てたサモボル城 。
20世紀初頭にサモボルの自治地が城を購入し、その後、城の東と北側を中心に一部修復作業が行われ、今では安心して人々が訪れることができる町の観光スポットとして親しまれています。
とはいえ、かつて貴族たちが住んだ輝かしいその姿は遠い昔のこと。
「ただの廃墟」だと言われれば、それだけのものに見えますが、このようなちょっとした歴史の知識を携えて訪れると、石造りの廃墟と化したお城にロマンと哀愁が漂っているように感じるので不思議です。
静かさと夕焼けに包まれたサモボル城は侘しさと美しさ、独特の雰囲気に満ちていました。
(※ただし、夕暮れ時にサモボル城へ行く方は、真っ暗になってしまう前に街まで帰れるように気を付けてくださいね。山道は街灯がないため真っ暗になり危険です)
きっと廃墟好きの方には堪らないはず!
どこか儚げな美しさを感じられる冬のサモボル城も素敵ですが(このページに掲載している写真は、冬の夕暮れ時に撮ったものです)、周囲が丘が緑に覆われる春や夏もおすすめです。
サモボルへお越しの際は、クロアチアの田舎町の風景と自然を楽しみながら、ぜひ足を延ばしてみてくださいね。
(小坂井真美)
【サモボル観光情報】
⇒ サモボル名物クレームシュニッタを食べるなら 地元民にも人気 Café Livadić
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