「ネクタイの発祥地」「ダルメシアン犬のふるさと」などとして知られるクロアチア。人一倍愛国心が強いクロアチアの人々は「クロアチアは小さな小さな国なのに、数々の偉大な発明者、モノのふるさとなんだっ!」と胸を張ります。
彼らが「世界を変えた!」と誇りに思っている”クロアチアの”偉大な発明家たち。みなさんは何人知っていますか?
スラヴォリュブ・ペンカラ
ネクタイに続き、みなさんが毎日きっと目にしているであろうもののなかに「クロアチア人が発明したもの」とクロアチア人が胸を張るものがあります。
それはシャープペンがや固体インクの万年筆!
クロアチア人のスラヴォリュブ・エドゥアルド・ペンカラ(Slavoljub Eduard Penkala)氏が、20世紀初頭にオートマチック・ノック式シャープペンシルを開発し、その後世界初の固体インクの万年筆も発明しました。
クロアチア には旧ユーゴスラビア時代から続く老舗文具メーカのトーズ・ペンカラ社(TOZ.Penkala)がありますが、この社名の由来はペンカラ氏の名前。 トーズ・ペンカラ社は高級シャープペンシルや万年筆から、子供向けの鉛筆や色鉛筆まで、様々な文房具を販売しています。
ちなみに、現在のスロバキアに生まれたユダヤ系のペンカラ氏。ですがペンカラ氏はクロアチアに帰化し、その生涯をザグレブで終えました。そんなペンカラ氏のことをクロアチア人たちは「生まれもルーツも関係ない。彼のハート(心)はザグレブにあるのだから、彼はクロアチア人だ」と称えます。
ペンカラ氏は今、ザグレブのミロゴイ墓地で永遠の眠りについています。
イヴァン・ブチェティッチ
現在、警察の捜査などで欠かせない指紋採取ですが、 犯罪被疑者鑑定のための指紋鑑定装置を発明したのは、クロアチアのフヴァル島出身のイヴァン・ブチェティッチ(Ivan Vučetić)という人物。
犯罪捜査を大きく変えた指紋鑑定装置。確かに「世界を変えた発明」に違いありませんね!
ファウスト・ヴランチッチ
ファウスト・ヴランチッチまたはファウスト・ヴェランツィオ(Fausto Veranzio)はシベニク出身の博学者。当時シベニクはヴェネチア帝国の支配下にあり、ファウストはベネチアのビショップでもあったそうです。
ク ロアチアでは「パラシュートの最初の設計図はファウストが描いた」「ファウストがパラシュートを発明したのだ」とよく言われますが、彼がパラシュート を”発明”した17世紀以前にも、パラシュートと似た道具についての記述が残されているとのことなので、「クロアチア人がパラシュートを発明した」という のはちょっと無理がありそう・・・;
ですが、ファウストは実際にパラシュートを作成し、実験を行ったという記録が残っており、そういった観点から見ると、パラシュートの発明に貢献したひとりと言えるのかもしれません。
ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ
ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ(Rugjer Josip Bošković)はドブロブニク(ラグーサ共和国)に生まれたイエズス会司祭、天文学者、物理学者、数学者。物理学に「質点」という概念を導入し、後の原子論者に影響を与えたとされる人物だと言われています。
※筆者の知識だけではボスコビッチについて詳しく説明できないので、詳しくはネットワーク上に公開されているPDF論文(上智大学、梅田孝太氏「ニーチェ心理学における「霊魂」と「肉体」」)のP96をお読みいただけるともう少しわかりやすく興味深いことが書かれているので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
イヴァン・ルキッチ
イヴァン・ルキッチ(Ivan Lukić)またはルピス(Lupis)、もしくはジョヴァンニ・ルピスとして知られるリエカ生まれのこの人物は、史上初の自航式魚雷のプロトタイプを制作した海軍士官として知られています。(当時リエカはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり、イヴァン・ルキッチはオーストリアの海軍士官だったと言われています)
>>次のページでは”エジソンを超える偉大な科学者”についてお伝えします
ニコラ・テスラ
最後にお伝えするのは、クロアチア人が「エジソンをはるか超える偉大な発明家」と尊敬して止まない天才科学者ニコラ・テスラ(Nikola Tesla)。現代の私たちの豊かな暮らしを支える交流発電機はテスラが発明しました。
「エジソンのライバル」とも呼ばれたテスラ。彼はエジソンが発明した「直流式発電機」よりもずっと実用的で電送に優れた「交流式発電機」を発明しました。それにより、遠い地域にまで電気を送ることが可能となり、その後の産業の発展と生活の向上に大きく貢献したのです。
話が長くなってしまうので、ここではあまり詳しくお伝えすることができませんが、テスラは若かりし頃、エジソンの下で働いていた時期がありました。
ある日「(エジソンが設計した直流用の)工場のシステムをひとつでも交流電流で動かすことがでるのであれば、褒賞として5万ドル(約1億円くらいの価値)を 払おう」とテスラに言い放ったエジソン。エジソンは「そんなこと、できっこない」と高を括っていのでしょうですが、天才テスラは見事にそれをやってのけたのです!
その後テスラが褒賞のことをエジソンに尋ねると、「テスラ、あれはアメリカンジョークだ」と言って、あっさりと約束を破ったのだとか・・・。それまでエジソンのことを慕い尊敬していたテスラですが、裏切られたことに激怒した彼はエジソンの元を去ります。
その後、交流電源の他、無線やリモコン、ラジオ、テスラコイル、モーターなど数々の多くの発明を行い、約300件もの特許を取得したテスラ。エジソンと肩を並べるくらい、いや、それ以上に偉大な科学者であったことには間違いありません。
それなのに、エジソンにばかり光が当たり、あまりその名が世に知れ渡ることがなかったテスラ・・・。その理由はエジソンはマスコミの使い方が大変上手だったからだ と言われています。その華麗なまでな手腕は科学者というよりも「やり手の実業家」。マスコミの影響力を理解し上手に使ったという点では、エジソンはテスラよりも優れていたようですね。
「わたしは発明を続ける金を手に入れるために、いつも発明する」と言うエジソンに対し「本当に人々の暮らしを豊かにするための発明をしたい」と考え友愛精神に溢れていたテスラ。
そんな偉大な科学者テスラに、彼の死後徐々に光が当たるようになりました。ちなみに、アメリカの有名な電気自動車会社Tesla Motors(テスラ・モーターズ)の社名はニコラ・テスラに由来するものだそうです。
日本では“偉大な発明家”として慕われるエジソンですが、このような理由からクロアチア、そしてセルビアには「エジソンなんて大っ嫌い…!」という人がとても多いのです。これからもっともっと、偉大な科学者、ニコラ・テスラの名を知る人が増えてほしいな・・・と筆者も思っています。
ちなみにクロアチア人が尊敬して止まないニコラ・テスラですが、彼はクロアチア生まれのセルビア人(両親がセルビア人)。テスラが生まれたのはクロアチアの”スミリャン”という小さな村でした。
テスラが生まれた1856年当時、村は「クロアチア」でも「セルビア」のものではなくオーストリア帝国の支配下にありました(かなりざっくりとしたまとめ方になりますが・・・その後、クロアチアは「ユーゴスラビア」の一部となり、1991年に現在の「クロアチア」となります)。
現在クロアチアでは「テスラはクロアチアの偉大な科学者」、セルビアでは「テスラはセルビアの偉大な科学者」と称されていますが、多くのクロアチア人は「テスラはの民族的ルーツは確かにセルビア。“クロアチア(人)の科学者”っていうのはちょっと無理があるかもしれないっていうのはわかっている。でもそんなの関係ない。僕たちはテスラのことをとても誇りに思っているんだ。彼は僕たちが誇る、偉大な科学者なんだ!」と口を揃えます。
現在セルビアの首都ベオグラードの空港は「ニコラ・テスラ空港」と名付けられ、セルビアの通貨である100ディナール札にはテスラの肖像画が描かれ、学校や通りの名前までにもその名が多く使われ、人々に愛されています。
同じようにクロアチアでも、首都のザグレブにはテスラの巨大な銅像があり、「ニコラ・テスラ通り」と呼ばれる、ザグレブっ子でいつも賑わう通りが存在します。クロアチア、セルビアへお越しの際は、そんな偉大なニコラ・テスラに想いを馳せながら街歩きしてみてくださいね。
以上いかがでしたか?
複雑なヨーロッパやバルカン半島の歴史が垣間見れるクロアチアの”発明家事情”。クロアチアの人々が「クロアチア人が発明したもの」と主張するものの中には、客観的に見ると「クロアチア人が発明した!」とは言い切れないものがリストアップされているのも事実。
ですが、自分たちの土地やクロアチアという国に人一倍誇りを持っているということ、そして「クロアチアは小さな国だけど、世界に誇るべき素晴らしい国なんだ!」という熱い気持ちがひしひしと伝わってくるような気がします。
(小坂井真美)