先日、ザグレブから日帰りでマリヤ・ビストリッツァ(Marija Bistrica)へ行ってきました。
現状、日本語での情報はほとんどないマリヤ・ビストリッツァですが、クロアチア最大の聖母マリアの聖地として知られています。
マリヤ・ビストリッツァが位置するのは、ザグレブから北に約50㎞。バスで片道1時間程度の場所に位置しています。
筆者はザグレブに住んで5年以上経ちますが、こんなにザグレブから近いのに、実はこれまでマリヤ・ビストリッツァに行ったことがありませんでした。
「クロアチアで最も有名な聖地のひとつ」ということ、そして名前くらいは知っていましたが、キリスト教徒ではない筆者にとってはあまりご縁のない場所だなぁ・・・なんて思い込んでいたのです。
そのため、特に調べることも、深く興味を持つこともなかったのですが、少し前にたまたまネットでマリヤ・ビストリッツァの教会の写真を見かけてからというもの「こんな美しい建物がクロアチアにあったんだ!しかも、ザグレブからこんなに近いなんて・・・!一度行ってみたいなぁ・・・」と、妙に心を惹かれていました。
でも特にマリヤ・ビストリッツァを訪れる具体的な計画を立てるわけでもなく、「行ってみたい!」と誰かに話すわけでもなく、忘れかけていたところ、先週クロアチア人の友達が「ねえ、クリスマスも近いし、巡礼も兼ねて今度マリヤ・ビストリッツァに行こうと思っているんだけれど、一緒に行かない?」と誘ってくれたのです。
そこで「きっとこれも何かのご縁だ!」と思い、喜んで一緒に連れて行ってもらうことにしました。
ザグレブ(ザグレブの中央バスターミナル)からマリヤ・ビストリッツァまでは定期的にバスが運行しており、上にも述べた通り片道約1時間程度。チケット代は往復で70クーナ程度(1400円程度)とお手頃。
ザグレブを出発し30分程経つと山道となり、あたりがうっすらと白く雪景色に・・・。今年はクリスマスが近づいてもなかなか寒くならず、ザグレブでは雪らしい雪がまだ降っていませんが、やはり寒い山間部では、それなりに雪が降ったようです。
「わぁ~!やっぱり、この辺り(山)は雪が積もっているんだねぇ」と景色を見ながら喜んでいたのもつかの間。(乗り物酔いしやすい体質なのですが・・・)20分近く山道をくねくねと走るバスの洗礼を受け、すっかり乗り物酔いしてしまいました💦
まるでお城のような美しい教会
そのため、マリヤ・ビストリッツァに着くころには少しぐったりしてしまっていたのですが、到着早々目に飛び込んできた教会の美しい姿と冷たくフレッシュな外の空気のおかげで、一気に元気が回復しました 😀
ネットで写真を目にしてからというもの、すごく心を惹かれていた教会。まるでお城のようなメルヘンチックな姿をしたその姿は、想像していた以上の美しさ!!
まだまだ行ったことがない所もたくさんあるとは言え、これまでクロアチアのいわゆる「主要観光都市」やその周辺の町はひとしきり網羅した筆者ですが、(あくまでも筆者の感想ですが)「(その姿、外観という点で)これまで目にしてきたクロアチアの教会の中で一番美しい!」と感動しました!
尖塔の屋根瓦のユニークな柄が実に印象的。「なんとなく、ザグレブの聖マルコ教会の屋根瓦に似ているな~。ひょっとして、この教会を設計したのって、ヘルマン・ボレー?」と思って調べてみると、勘が的中。
(※ ザグレブの聖マルコ教会について詳しくは「屋根瓦が可愛い、ザグレブのシンボル「聖マルコ教会」」をご覧ください)
ヘルマン・ボレーとは19世紀末に活躍した、ドイツ・ケルン生まれの建築家。ザグレブは1880年に歴史的な大地震があり、多くの建物が被災してしまったのですが、ヘルマン・ボレーは震災後の街の復興に大きく貢献しました。
聖マルコ教会の屋根瓦をあんな風に可愛くデザインしたのもヘルマン・ボレー。またザグレブのシンボルでもある大聖堂を現在の形に設計したのも、「ヨーロッパ一美しい墓地」として称えられるミロゴイ墓地を設定したのもヘルマン・ボレー!
その他、ザグレブに点在する様々な建築物を手掛けた、現在のザグレブの姿を語るのに欠かせない建築家なのです(ザグレブの他、クロアチア国内外の多くの建築物を手掛けました)
ちょっと話が逸れてしまいましたが、この教会はウィーンの市庁舎やケルン大聖堂を手掛けた有名な建築家フリードリッヒ・フォン・シュミットと、彼の弟子であったヘルマン・ボレーにより増改築され、19世紀末に現在の姿になったのだとか(ヘルマン・ボレーは馴染みがないかもしれませんが「フリードリッヒ・フォン・シュミットなら知っている!」という方もいらっしゃるのではないでしょうか)
このように、教会が現在の姿となったのは19世紀末のお話ですが、マリヤ・ビストリッツァが多くの人の信仰を集めるようになったのは、もう少し前の時代のお話です。
マリヤ・ビストリッツァという場所の名前自体が初めて文献に登場するのは13世紀初頭(1209年)のこと。
15世紀になると、ぶどう畑が広がるなだらかな丘の上に、聖母マリア様の像(聖母子像)を祭る教会が建てられたそうです(ちなみに、この像時代が造られたのも15世紀のこと。木製の手彫りだそうですが、研究により、もともと黒い色をしていたわけではない、ということがわかっているそうです)
その後、時代は移ろい、ヨーロッパがオスマン・トルコ帝国の脅威に晒された16世紀に。クロアチアはヨーロッパのキリスト教圏をオスマン・トルコの侵略から守る最前線に位置していたエリアの一部だったのです。
時は1545年、オスマン・トルコ軍の侵略に備え、マリヤ・ビストリッツァの人々は大切な像を守るために、像を地中に埋めて隠したのだとか。
その後1588年になり、像は一度掘り出されたものの、再度オスマン・トルコの侵略に備え、2度目はなんと教会の壁の中に埋め込んで隠したそうです・・・!
その後、月日が流れ、なんと像の存在はすっかり忘れられていた(!)そうですが、1684年の7月15日に「再発見」されたそうです。(大切な像の存在を忘れてしまったなんて、ちょっとびっくりですが、像を隠した神父さんが場所を明かさずに亡くなってしまったそうです)
「壁の中で忘れられていたマリア像が「ここだよ~!」と光り輝き発見された」または「誰が掘り出すわけでもなく、自らマリア像が姿を現した」なんていう伝説も。
いずれにせよ、再び姿を現したこのマリア像(聖母子像)は数々の奇跡を起こし、人々の厚い信仰を集めるようになったのだとか。
それからというもの、クロアチアにおけるマリヤ信仰の一大聖地となったマリヤ・ビストリッツァには、クロアチア国内外から多くの熱心な信者さんたちが巡礼に訪れるようになりました。
こうして、多くの人々の信仰を集めるようになったマリヤ・ビストリッツァの教会。
次第に「多くの信者さんを迎えるには狭くて小さすぎる」という意見がではじめ、19世紀にマリヤ・ビストリッツァの教区司祭であったユーライ・ジェリャヴィッチ(Juraj Žerjavić)さんという方の命により(前述のようにヘルマン・ボレー等のデザインにより)教会はネオ・ルネサンス様式で増改築されました。
教会を囲むように建てられた回廊の壁には「マリア様、ありがとうございます」と刻まれたプレートがびっしりと貼りつけられています。
すべて、聖母マリア様への感謝の気持ちを込めて信者さんたちが寄贈したもの。
(下の写真の絵の下、小さいタイル1枚1枚にがそのプレートです ↓)
また、上下の写真のように、回廊にはマリヤ・ビストリッツァの黒の聖母子像が起こしたとされる、数々の奇跡の一場面を描いた絵が飾られていました。
なお、1998年には教皇ヨハネ・パウロ2世がクロアチア各地を訪問されたのですが、その際、教皇はマリヤ・ビストリッツァにも立ち寄られたのだとか。
教会横の広場の一角には、それを記念した像が立っていました(↓)
教会のすぐ近くには、小高い丘があるのですが、そこは「カルワリオの丘」つまりイエス・キリストが十字架に磔にされたゴルゴタの丘を模した巡礼の道となっています。
重い十字架を背負ってゴルゴタの丘を歩んだイエスの受難の様子を表す像が、丘の15箇所に設置されており、信者さんたちはイエスに想いを馳せながら(ゴルゴタの丘を歩いたイエスの追随体験をしながら)この道を歩きます。
聖地エルサレムには「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」と呼ばれる、実際にイエスが十字架を背負って歩んだと言われる道があるのですが、これは「マリヤ・ビストリッツァ版のヴィア・ドロローサ」のようなもの、といえばわかりやすいかもしれません(ちなみに、ドブロブニクのスルジ山の山道にも同じようなものがあります)
マリヤ・ビストリッツァのヴィア・ドロローサ
それぞれ15の場面について、それぞれとても興味深いエピソードがありますが、ここに書くと長くなる上、筆者なんぞが書くよりも、もっとキリスト教に造詣が深い方が書かれた本や記事を読まれた方が良いと思うので、詳しいことは割愛しますが、マリヤ・ビストリッツァの“ヴィア・ドロローサ”に設置されている15の像を順番に紹介しますね。
①(↑)スタート地点、丘の麓は第一ステーション「裁かれるイエス」。
②(↑)第二ステーション「十字架を背負うイエス」
③(↑)十字架の重みに耐えきれず、倒れるイエス(一度目)
④(↑)群衆に混ざりイエスを見守る母マリア
⑤(↑)十字架を担ぐ力がほとんど残っていないイエス。その十字架をうしろから支え、共に担がされるキレネのシモン(クレネ人のシモン)
⑥(↑)イエスの顔を布で拭うベロニカ
⑦(↑)2度目に崩れ落ちるイエス
⑧(↑)イエスのために嘆き悲しむ群衆や女性たちに向かって「私のために泣くな。あなた方自身のため、自身の子供たちのために泣きなさい」と語りかけるイエス
⑨(↑)三度目に崩れ落ちるイエス
⑩(↑) いよいよ処刑場に到着。十字架を下ろし、服を脱がされるイエス
⑪(↑)十字架に釘づけにされるイエス
⑫(↑)十字架にかけられ絶命するイエス
⑬(↑)十字架から降ろされるイエスの亡骸
⑭(↑)亜麻布で包んだイエスの亡骸をお墓に納める様子
⑮(↑)これで最後。復活を遂げ、お墓の中から出てくるイエス
山道からは周囲一帯や教会の美しい景色も見えるので、マリヤ・ビストリッツァを訪れたらぜひ足を運んでみてくださいね!
丘の麓から頂上まで、行って戻ってくるには徒歩で約20分~30分。
なだらかな坂ですし、山道から見える素晴らしい眺めや各ステーションに置かれている像を見ながら歩いていると、あっという間でしたよ!
リツィタルがいっぱい!
「クロアチアのお土産」として日本人観光客にも人気のリツィタル。(⇒リツィタルについて詳しくはこちらをご覧ください)
マリヤ・ビストリッツァにはリツィタルを作る工房がたくさんあり、街のお土産としても愛されています。
上の写真(↑)はマリヤ・ビストリッツァを訪れた観光客に人気のスポット。リツィタルの真ん中(鏡の部分)に顔を入れて、教会をバックに記念写真をパシャリ!
途中、街中でコーヒーブレイクのために立ち寄ったカフェの店内にも、リツィタルで飾りつけされた可愛いツリーが置かれていました!
「全部、マリヤ・ビストリッツァの工房で作られたリツィタルよ!」とお店のご主人。
我が家にも毎年使っているリツィタル(ザグレブ工房産のもの)があるので買って来なかったのですが「せっかくだから、マリヤ・ビストリッツァのリツィタルをいくつか買って来ればよかった・・・」とザグレブに帰ってきてからちょっぴり後悔しました。
また「ザゴリエ地方」と呼ばれるエリアに位置するマリヤ・ビストリッツァ。
ザゴリエ地方は豊かな森が広がる自然の美しい土地で、森林資源が豊富なこの土地では、昔から各家庭で子供たちのために木のおもちゃが手作りされてきました。
そんな伝統的な木のおもちゃはユネスコ無形文化遺産にも指定されており、クロアチア土産としても人気。街中のお土産屋さんでも売られていましたが、街の広場の一角には(↑)上の写真のように巨大な子供用のおもちゃが設置されていました(子供を乗せてぐるぐる回転するおもちゃのようです)。
今は冬のオフシーズンで人が少ないためか、周囲にカバーがかけられていましたが、観光客や参拝者が多い春から夏にかけてのシーズンは家族連れを楽しませているのだとか。
またオフシーズンのため、街はあまり活気がなく、閉まっているお店も多かったですが、春から夏にかけての気候の良い時期は、教会周辺にはたくさんの露店も並び、賑やかな雰囲気に包まれるそうです。
「また次は春あたりに来ようね。緑に包まれたマリヤ・ビストリッツァもとっても綺麗よ」と友達。
また近い将来、訪れたいと思います。またその際は、当ブログでみなさまにご報告しますね☆
とっても小さなマリヤ・ビストリッツァですが「教会建築にご興味のある方」や「ガイドブックに載っていないスポットへ行ってみたい」という方にザグレブからの日帰り(半日)旅行先としておすすめしたい町です!
ザグレブでたっぷりと時間のある方は、ぜひマリヤ・ビストリッツァにも足を延ばしてみてくださいね!
(2018年12月21日 小坂井真美)
ザグレブ在住日本人が楽しいザグレブ散策のお手伝いをします!
当サイトではお伝えしきれない、本当におすすめしたいレストランやお店、写真スポットにご案内したり、お土産探しなどのお手伝いをします。ザグレブ以外の町の観光アドバイスもお伝えします。
ご興味のある方はこちらをご覧ください。