ファンタジー映画やアニメに出てきそうな雰囲気が漂う、摩訶不思議なスロベニアの洞窟城『プレッドヤマ』城。今回はプレッドヤマ城にまつわる、ちょっぴり怖い伝説をお伝えします。
>>プレッドヤマ城について詳しくは「【スロベニア】伝説が渦巻くミステリアスな洞窟城 『プレッドヤマ城』 」をご覧ください
プレッドヤマ城について語られる時、必ずその名が登場するのが、かつての城主エラゼム。エラゼムは15世紀に実在した人物で騎士であった一方、裕福な貴族から財宝を奪い貧しい人々に分け与えていた義賊という一面も持ち合わせていました。
当時このあたりの土地を支配していたのはオーストリア帝国。伝説によるとエラゼムは亡くなった友人の名誉を汚されたことに腹を立て、帝国軍の司令官(マーシャル・パッペンハイム)を殺した罪に問われ、オーストリア軍に命を狙われることになりました。
命からがらプレッドヤマ城に逃げ込んだエラゼム。オーストリア軍はお城を包囲し、兵糧攻めでエラゼンを打ち負かそうと企てますが、お城の裏にある鍾乳洞を通る秘密のおかげで隣の谷に出て、新鮮な水や食料をなんなく確保することができたエラゼムとその家来たちは、半年間(または一年とも言われています)もの間持ちこたえることができたのです。
しかし1484年のある日、オーストリア軍に買収された家来の裏切りにあり、エラゼムはその人生を終えることになりました。
難攻不落と思われたプレッドヤマ城の唯一弱点。それはお城の角に位置していたトイレでした。エラゼムが用を足すためにトイレに入った瞬間、裏切り者の家来は窓に蠟燭をともし外のオーストリア軍に合図を送りました。
その合図とともに放たれた1発の大砲がエラゼムに命中し、エラゼムはこの世を去ってしまったのです。(今でもエラゼムが砲撃を浴びた場所だとされるトイレが残っています)
エラゼムの死後、プレッドヤマ城は他の貴族の手に渡り大切に守られてきましたが16世紀の地震によりお城は大きなダメージを受けてしまいました。
現在私たちが見ているお城の姿は、1570年にルネッサンス様式で再建されたもの。再建された当時からほとんど変わらない姿だと言われています。
このような歴史より、いわくつきのお城として知られるプレジャマ城。なんでも、この世に未練を残して死んでいったエラゼムの足音や声が、今でもお城の中で聞こえることがあるのだとか。
度々不可解な現象が起こるプレッドヤマ城。数年前に『ディスカバリー・チャンネル』がそんな不可解な現象を解明しようとお城を訪れ撮影を行いましたが、科学では説明不可能な不可解な音や映像が撮れたのだそう。その謎は解明されることなく、今もプレジャマ城のミステリーとして語り継がれています。
プレッドヤマ城を訪れる際は、こんな伝説に想いを馳せながら散策を楽しんでくださいね。
【DATA】
<料金>おとな1名 11.90ユーロ
<開館時間>
11月~3月:10:00~16:00
4月、10月:10:00~17:00
5月、6月、9月:9:00~18:00
7月、8月:9;00~19:00