今日はドブロブニク旅行前に知っておくと、旅をちょっぴり楽しくしてくれる豆知識をお伝えします。
ドブロブニク旧市街を歩いていると、街のあちらことらで変わった形の帽子を被った銅像を見かけます。例えば、ほら、ドブロブニクを訪れる多くの旅人が最初に足を踏み入れる「ピレ門」の上にも・・・!(↓↓)
これは「聖ブラホ」という聖人の像で、ドブロブニクの守護聖人。クロアチアを含め、キリスト教、特にカトリック教徒が多い国では「守護聖人信仰」が今も息づいており「その町にゆかりのある聖人が町やそこに住む人々を守ってくれる」と信じられているのです。
クロアチアの各町にはそれぞれの守護聖人がおり、人々は教会を建て、祈りを捧げ、苦しいしい時に助けを求めてきました。例えばザグレブの守護聖人は聖母マリア、スプリットの守護聖人はドムニウス。そしてここ、ドブロブニクの守護聖人は聖ヴラホなのです。
聖ブラホは「聖ブラシウス」、英語では「St. Braise(セイント・ブレーズ)」と呼ばれるアルメニアの司教で、3世紀~4世紀にかけて実在した人物。もともとお医者さんであった聖ブラホは、喉に魚の骨を詰まらせて窒息死しそうになった子供を助けたことから「喉の守護聖人」としても信仰されています。
ところで、もともとドブロブニクではスルジ(セルギウス)とバコ(バックス)という、古くからの聖人が崇拝されていました。その所縁は今も受け継がれており、ドブロブニク旧市街の背後にそびえる山が「スルジ」と呼ばれるのはこのためです。
聖ブラホがドブロブニクの聖人となったのは、時を1000年以上遡る972年のこと。
ドブロブニクに伝わる伝説によると、972年のある日、ドブロブニクの沖合いに浮かぶロクルム島とグルージュ港の近くにヴェネチア帝国の船が碇を下ろしました。
ヴェネチアの兵士たちは「東へ向かう旅の途中」という名目で、ドブロブニクに許可を得て、数日間に渡り食料や飲み水を調達したりしており、町の人々もそんなヴェネチアの言う事をすっかり信じていました。
しかし、そんなある夜のこと。今もドブロブニク旧市街内に建つ「聖スティエパン教会(Crkva Svetog Stjepana)」のドン・ストイコという神父が、“何か”に呼ばれているような奇妙な感覚を覚え、祭壇で祈りを捧げようと寝静まる町を歩き教会へ向かいました。教会に着いたストイコ神父はびっくり・・・!真夜中にも関わらず、教会は煌々と輝き、扉は開け放たれていたのです。祭壇で彼を待っていたのは、司教の服をまとった白髪の老人と、その老人を取り巻く天の軍隊。
驚くストイコ神父に白髪の老人は、自分はセバスティア(現在のトルコのスィヴァス)の殉教者ヴラホであるということ、そしてヴェネチアから攻撃を受けるドブロブニクを守りたいのだと、ということをストイコ神父に話しはじめました。
さらに聖ブラホは続けます「すでに二晩町を守ってきましたが、ヴェネチア軍は城壁の周辺も囲みはじめ、陸からも攻めようと準備を整えています。このままでは、私の力だけでは町や人々を守ることはできません。あなたたちの助けが必要です。町の人々に危険を知らせるのです!」
翌朝の早朝、早速ストイコ神父は総督をはじめ町の人々に、迫りくる危険、聖ヴラホのお告げを伝えました。こうして、城壁の門を固く閉ざし、ヴェネチアの襲撃に備えることができたドブロブニク。奇襲作戦が見破られたヴェネチアは落胆して、怒りながらドブロブニクを去っていったそうです。
聖ヴラホのおかげでヴェネチアの襲撃から守られたドブロブニク。この日からドブロブニクの人々は、聖ヴラホを新しい町の守護神として崇拝するようになり、翌年には町の中心に聖ヴラホに捧げる教会を建てました。この教会こそが、現在も町のメインストリート「ストラドゥン(プラツァ通り)」に面する「聖ヴラホ教会」です。
また、司教帽を被り、杖を持った聖ヴラホの姿を象った像を町のすべての重要な建物に建てるようになりました。数えたことがある人の話では、その数は27体とか!
ドブロブニク散策の際には、いくつ見つけられるか、ぜひ数えてみてくださいね!
また、毎年2月初旬には聖ヴラホを称える「聖ヴラホ祭り」が行われます。ドブロブニクの人々にとって1年で最も大切なお祭りのひとつで、お祭りの期間中は街中が活気に溢れます。
1000年以上もの間、ドブロブニクの町と人々を見守り続けてきた聖ヴラホ。ドブロブニクへお越しの際は、ぜひこの伝説に想いを馳せながら街歩きを楽しんでくださいね!