【旅コラム】川とアドリア海が出会う、クロアチアの港町「リエカ」
首都ザグレブから南東に約185km、アドリア海最北に位置する港町「リエカ」。
“リエカ(Rijeka)”とはクロアチア語で「川」という意味。その名の通り、町の中心付近を川が流れています。
クロアチア最大の港町であるリエカは、古くからこの辺りの地域の重要な物流拠点として発展してきました。
ところでリエカにはもうひとつ「フィウメ(fiume)」という名があり、イタリア語で同じく「川」という意味があります。かつてここはイタリアの領地であった影響もあり、現在でもしばしば「フィウメ」という名前で呼ばれることもあります。
実はリエカがクロアチア領となったのはつい最近のこと。かつては東ローマ帝国、ヴェネチア共和国、オーストリア帝国などなど、様々な民族や帝国の支配下におかれ、第一次世界大戦後はイタリア領でありました。
1947年からは 旧ユーゴスラビア領となりましたが、1991年のクロアチア独立と同時にクロアチア領となったのです。
そのためリエカはイタリアにルーツを持つ人も多く、イタリア語もよく通じます。また、イタリアに近いことから、週末に日帰りでミラノやトリエステに買い物や旅行に行くリエカっ子も多いのだとか。
このようにリエカは様々な国や民族が入り混じる、クロアチアの複雑な歴史背景を物語る町でもあります。
このようなユニークな歴史を持ったリエカ。町を歩いているとクロアチアの他の都市とは異なり、近代的で新しい街並みであるという印象を受けます。
それは 1750年に起きた大地震で、それまでの歴史的な建造物がほとんどすべて破壊されてしまったため。当時この地を治めていたオーストリア帝国の女帝マリア・テレジアは、町の復興のために莫大な資金を投じました。
古い街並みが残る地域はそのまま残し、壊滅的な被害を被り何も残されていなかった海沿いの地に新たな街が建設されました。それが現在のリエカの中心地、コルゾ通りが伸びるエリアです。
そのためコルゾ通りを歩いていると、オーストリアの影響を受けた建物が多いことに気が付きます。
一方、地震による破壊を免れることができた建物もいくつかあり、よく観察しながら町歩きをしていると、ローマ時代の古い遺跡が目につくことも。町の歴史の深さをしのぶことができます。
ドブロブニクやスプリットと比べると、まだまだ観光地としてはマイナーなリエカですが、クロアチア旅行の際はお時間に余裕があればぜひお立ち寄りください!
(小坂井真美)
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